江草安彦先生

江草安彦

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 江草安彦(えぐさ やすひこ)は大正15年、岡山県笠岡市に生まれた。青年期にペドロ・アルペ神父(のちのイエズス会 第28代総長)に出会い、「わが人生は奉仕にあり」を実践するその生きざまに心をうたれる。昭和23年、岡山カトリック教会で洗礼をうける。
 昭和27年、若き医師として真庭郡八束村と川上村を訪れた江草は、乳幼児健診など地域の母子保健向上運動にとりくむ。障害児を抱えた家庭の痛ましい現実にふれ、この時の体験が、江草の生涯を決定づける原点となった。
 昭和28年、川﨑祐宣とめぐり会う。旭川荘設立の構想を聞き、医療福祉の道に進むことを決意する。昭和32年、「旭川学園」の初代園長に就任。知的障害児施設には大きな期待が寄せられ、希望者は年々増加していった。
子どもたちの成長にともない、成人への支援体制も整えた。
 昭和60年、江草は川﨑の後を引き継ぎ、旭川荘の第二代理事長に就任する。社会の中で「ともに生きる」という理念を具現化するために、社会自立を目標とした施設機能の強化、地域福祉の展開などを積極的に推し進めた。
「人を助けるのは医療だけではだめだ。共に苦しまなくては、人の悲しさ、寂しさは救えない」。江草は医者になりたてのころ、ローソクのともしびになりたいと思ったという。自分の身を削り、溶けながら、周囲に明るい光を投げかける。江草安彦が生涯を賭して灯した希望の光は、これからも旭川荘と医療福祉のの未来を照らし続けていく。

 

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